それを頑なに認めず病院にはかからなかった。
中学生になると、席には座っていられるようにはなっていた。
しかし宿題は出さないし、予習復習は一切しない。
テストは悲惨で担任に「高校に進学できないぞ」と怒られたが対して気にしていなかった。
「360Pノート」という1日1ページドリルなどを見てノートに書き込む数学の宿題があったが
通常は1ページにびっしり書くところを私は大きな文字で3問しか書かなかった。
見かねた教師が放課後、部活に行かせずに付きっきりで宿題をやらされた。
友人関係は最悪だった。
私はペラペラと一方的に喋ってしまうところがあって、
更に空気の読めない発言をしていたらしく、嫌われた。
1年の3学期にはもう一人ぼっちだった。
自分では何がなんだかわからずひたすら呆然としながら過ごした。
やはり中1のときの担任も「発達障害の疑い」を母に示唆してきた。
それでも母は発達障害を疑わず、「この子はだらしがないだけです」と担任に言っていた。
でもこの頃、さすがに「この子は他の子と違う」と思い始めていたようで、
ようやく病院に私を連れていった。
診断の結果、「注意欠陥多動性障害(AD/HD)」だった。
多動・衝動性が強く、将来お金を稼ぎ始めたら衝動的にお金を使ってしまって
貯金ができないタイプと言われたらしい。
私はこの時学校のストレスを和らげる治療と言われて病院に行っていたので、
この診断は知らされていなかった。
母はこの結果を担任を伝え、私には発達障害を隠すようにお願いしたという。
発達障害と向き合ってください
また娘がご迷惑をかけるかもしれませんがよろしくお願いしますと頭を下げたらしい。
中2の夏。
私は少しずつ宿題をしていくことができるようになった。
母の協力と担任の協力で障害をカバーしてくれた。
友人関係は相変わらずだが、テストの成績が少しずつ上がっていくのは楽しかった。
しかし音楽のとき、ゆらゆらとまっすぐ立たない私に音楽の先生がこう言った。
「まったくフラフラフラフラと!じっとしてなさいよ!発達障害はこれだから・・・」
私はえ?と思った。
音楽の先生はあ、やばいという表情をしていたので私は全てを悟った。
私って発達障害?
当時、障害=ダウン症のような印象を持っていた私はズドーンと心に衝撃を与えられ号泣。
お調子者の男子や派手な女子は「しんしょう」とからかってきた。
友達がいなくても平気で過ごしていたが、「しんしょう」はキツかった。
母も私が知ってしまったことに驚き、音楽の先生に文句を言いに学校へ凸していった。
音楽の先生は平謝りだったが、母も落ち着きのない私の行動を謝ったらしい。
私も自分の言動を物凄く気にするようになった。ようやく。
自分が発達障害と知った時は本当に修羅場だった。
中学生だった私は養護学校に転校するのかとか子どもは産めるのかとか
そんなことばかり気にしていた。
しばらく荒れたが、発達障害だからといって馬鹿にされたくないという気持ちが強くなり、
死ぬほど苦痛だったが、ひたすら勉強した。
10分勉強→休憩→10分勉強という細切れな感じだったけれど。
努力が実り、一応は公立の高校に合格できた。
その後、短大に進学して現在は普通に働いてる。
現在幼稚園の娘が同じような兆候が現れており、
小学生になっても同じようだったら受診を考えている。
●コメント
今すぐ受診させろよ
●コメント
そうか発達障害ってやっぱ自覚ないのか
単なる性格とかでなく明確に病気なわけだから早く受診した方が本人のためだよな
●コメント
昔は発達障害なんかの類いって
個性の範囲で済まされてたところあったよね
旦那の祖父の話をトメから聞いて、あきらかにそれ障害じゃ…って
思ったけど
「変わった人でねー」って認識だった
引用元: ・今までにあった修羅場を語れ