
当時、私はエスカレーターで大学まで行ける学校の生徒だった。
父は、仕事は自営の資格商売をしていて、
趣味人だということは知っていた。
収入は結構あったようだ。子供の頃、不自由をした記憶はない。
朝早くに出勤する父は、夜は早めに帰宅し、
夕食は必ず私と母と3人で採っていた。それは、母との約束だったらしい。
親子の団欒と言えば夕食だけで、父は土日もろくに家にいることはなく、
家にいる時は書斎に篭ってなにやらしていた。
その筋では有名なマニアというか、市井の研究者だったらしい。
時々、父の友人という人達が訪れて酒盛りをしていた。
よく、私と母に手土産と言って、
珍しい菓子や珍味をくれたのも覚えている。
そんな父が事故死したのは、私が高校の時だった。
突然のことで、三七日くらいまでは、母も私も茫然としていた。
それから家の中を整理していた母が、
ある日、私に真面目に切り出した。
母はそれまで、毎月決まった生活費を父から
受け取り家庭を切り盛りし、収支は父任せだったこと。
学費等大きな出費はその都度言えばすぐに父が用意したこと。
父が死んで、調べてみたら、
貯金も保険もろくになかったこと。